西洋の日本観

31. アルカラ 『アッセンシオン伝』 1739年

ALCALA, Marcos de. Vida maravillosa de San Martin de la Ascension, y Aguirre, protomartyr del Japon. En madrid, en la imprenta, y liberia de Manuel Fernandez, 1739. / 4to. Cordier BJ 437; Palau 5694; Streit VI. 1442; Laures 616.



アルカラ 『アッセンシオン伝』 1739年


 フランシスコ会が日本での宣教活動を開始したのは1582年、約三十年ほどイエズス会に遅れることになりますが、本格的な布教はペドロ・バウティスタが1593年に来日してからのことでした。バウティスタにつづいてリバデネイラらも来日し、1596年六月に長崎に到着したアッセンシオン・デ・アギーレとフランシスコ・ブランコの二人も加わっています。アッセンシオンは大阪へ、ブランコは京都へとそれぞれ赴任したのもつかのま、サン・フェリペ号の遭難に端を発するキリシタン迫害に巻き込まれて行きました。

 イエズス会の宣教師は釈放されたものの、フランシスコ会の彼らは二十四人の信者らとともに1597年二月五日、礫刑に処せられました。日本の最高権力者による最初の殉教となったこの事件がヨーロッパで公表されたのは1598年、フランチェスコ会のフィリピン管区長、フランシスコ・テロ・デ・グスマンの報告書が出版されたのが最初であり、その後フロイスの1597年三月十五日付け書簡が1599年に、また1601年にサン・ホセ・デ・ロス・デスカルソス管区(スペイン・カスティーリャ)の管区長ホアン・デ・サンタ・マリアの報告が続きます。

 著者アルカラは本書に先立って、フランチェスコ会のサン・ホセ管区についての浩瀚な年代記を執筆(1736年)し、サン・ホセとつながりの深かったサン・グレゴリオ管区(フィリピン)に関しても姉妹篇として同様の年代記を1738年から1744年にかけて発表しました。このような経緯のうえで編まれたアッセンシオンの伝記は、豊かな史料に裏付けられた文献です。