西洋の日本観

40. マルコ・ポー口 『東方見聞録』 英訳・1818年

MARCO POLO. The travels of Marco Polo, a Venetian, in the thirteenth century : being a description, by that early trsveller, of remarkable places and things, in the eastern parts of the world. Translated from the Italian, with notes, by William Marsden. London, printed for the author, by Cox and Baylis, and sold by Longman, Hurst, Rees, Orme and Brown ; and Black, Kingsbury, Parbury, and Allen, 1818. / 4to. Pagès 1 ; Cordier BJ 21.



『東方見聞録』 英訳・1818年


 ヴェネツィアの商人ニコロとマテオのポーロ兄弟が、ニコロの子マルコを連れてフビライ・ハンのもとへ遠大な旅行に出たのは西暦1271年のことでした。ペルシャからパミール高原、ゴビ砂漠を越え、四年後に上都でハンに拝謁しています。ハンが重用したマルコ・ポー口は、元の各地に使節として派遣されるなど、この間にも見聞を深めています。1292年に泉州を発ってからの帰路はセイロン、アラビア海をへての船旅でした。この三人がヴェネツィアに戻ったのは三年後、実に四半世紀にわたる大旅行でした。

 『東方見聞録』はマルコ・ポー口がのちにジェノヴァで虜囚となったさいに、獄中でルスティケロに口述したものと言われています。もとはフランス語とも考えられる記録が十五世紀に最初に活字となったのは、1477年のドイツ語訳でした。その後十五世紀の印刷本としては1483年ごろのラテン訳、ヴェネツィアのセッサが上梓したイタリア語版が知られています。十六世紀でもラムージオのイタリア語訳が流布するなど、大航海時代の重要な参考文献とされたものの、その後は荒唐無稽の奇書とみなされ、ほとんど無視される状態がつづいています。

 しかしこの著作を再評価し、新たな東洋研究の知見にもとづいてポー口の記録を裏付けたのが、1818年に刊行されたマースデン版です。その才能を認められ、ウィルキンズの義息に迎えられたウィリアム・マースデンはこの英訳版において、はじめて『東方見聞録』の原典批判をおこなっています。後に新資料の発見によるさまざまな原典復元の試みがなされていますが、その基礎を築いた重要な版です。

邦訳:愛宕松男訳『東方見聞録』(東京・1970-71) (292/P77)