No.14
オルテリウス, A ( ORTELIUS, Abraham ) 

「 日本島 (IAPONIA INSULA) 」 
10×8(cm) (1598)1603
【解説】: 日本の精巧な初期ミニアチュアで、オルテリウスの世界地図帳のミニアチュア版の1598年の「エピトーム(略図)」に発表された。アントワープのC・プランティンによる出版で、地図はガレが彫った。 この地図は、1595年のオルテリウスの2折判に発表された日本の最初の近代的ヨーロッパの地図に基づいたもので、またポルトガルの地図制作者テイセラの海図に基づいている。 これ以前の地図と異なり、この地図の範囲は日本までに限られており、諸島の3つの主な島のみが表示されている。 これは1603年の珍しい英語文の版で、ロンドンのJ・ノルトンによる印刷である。このライバルとなる「エピトーム」のコイグネット版もまた1603年にロンドンで出版された。スケルトンが正当に指摘しているように、「この2つの小さな本は、英語文のついた最も初期の世界地図帳」なのである。 初期のミニアチュアの重要で稀少な版である。

No.15
ランジェーヌ, B ― ベルティウス, P ( LANGENES, B. - BERTIUS, P. ) 

「 日本 (IAPAN) 」 
13×8.5(cm) (1598)1612
【解説】: この魅力的なミニアチュアの日本地図は、1598年以降、ランジェーヌのポケット地図帳「地理学地図」や、1600年以降、当時はベルティウスの「地理学地図」に発表された。 ベルティウス(1565-1629年)は、P・ファンデンキールおよびJ・ホンディウスとも義理の兄弟である。1618年にフランスのルイ十三世の地理専門家に任命される前、一時はライデンで数学教授を務めたこともあった。 ベルティウスの地図製作上の非常に重要な仕事は、1600年に初めて出版されたポケット地図帳「地理学地図」で、その後ホンディウス、ヴィッシャー、ヤンソンによって、 1650年まで出版が続けられた。ここに収められた地図は、1598年のランジェーヌのオリジナルと同じものである。これは1595年のオルテリウス―テイセラの輪郭を踏襲しているが、朝鮮の南端しか図示していない。海の部分は鮮やかな細かな線が引かれ、装飾には大きな水しぶきをあげる海の怪獣が中央下に描かれている。表題は右下の装飾枠の中に出ている。 この地図は、ドイツのフランクフルトで、H・ロレンツェンにより出版された1612年のドイツ版からのもので、説明文を伴っている。

No.16
オルテリウス, A ( ORTELIUS, Abraham ) 

「 日本島 (IAPONIA INSULA) 」 
10×8(cm) 1601
【解説】: 1601年のオルテリウスの世界地図帳「エピトーム(略図)」のミニアチュア版に初めて発表された日本の精巧な初期ミニアチュアである。これは、C・プランティンが、ガレが彫った地図と共に、アントワープで出版したもののライバル版でもある。 この地図は、1595年のオルテリウスの2折判に発表された日本の最初の近代的ヨーロッパの地図およびポルトガルの地図制作者テイセラの海図に基づいている。 これ以前の地図と異なり、この地図の範囲は日本だけに限られており、諸島の3つの主な島のみが表示されている。 J・キールベルゲンによる出版で、地図は、アルセニウス家のアンブロシウスとフェルディナンド兄弟が彫った。地図はガレの地図を修正したもので、酷似しているが、彫りの質がより精巧で、緯度経度線が含まれている。装飾のタイトルの部分は、簡単な線の枠に置きかえられている。 この地図は1601年の新地図帳の第1版から取られた。

No.17
ウイットフリート, C ( WYTFLIET, Cornelis van ) 

「 日本王国 (IAPANIAE REGNUM) 」 
12.5×9.5(cm) 1605
【解説】: この珍しくて魅力的なミニアチュアの日本地図は、 1605年以降フランスのドゥアイで出版されたウイットフリートの「東西インドの歴史」の最初のフランス語版に発表された。 ウイットフリートは、ベルギーのブラバン地方議会の書記官で、プトレマイオスの「コスモグラフィア」の補遺を書いた。1597年ルウエンで刊行されたこの補遺の最初の版は、アメリカだけを取扱った地図付きの最初の独立した地図帳とみなされる。 1605年、1606年、1607年、1611年のフランス語版は、地図帳の範囲を広げ、東インド諸島、中国、フィリッピン諸島、日本の地図を含むようになり、通常は4つの地図が1枚の2折半紙に印刷されているのが見られる。 実質的には、ウイットフリートの地図はB・ランジェーヌの1598年の魅力的な地図の忠実なコピーで、中央下の水しぶきをあげる恐ろしい怪獣までも写し取っている。地図のタイトルは地図の上の線描の枠内に移動している。またランジェーヌの元の地図より彫りは劣っている。 希少で珍しい初期のミニアチュアである。

No.18
ホンディウス, J ( HONDIUS, Jodocus ) 

「 17世紀初頭の最も精巧な地図の一つ 日本図 (One of the finest early 17th Century maps IAPONIA) 」 
44.5×34(cm) (1606)1609
【解説】: メルカトールの「地図帳」の新しい最新版のために彫られた36枚の新地図の一つで、ホンディウスによって1606年に初めて出版された。この地図は1609年のフランス語版からのものである。 これは1595年のテイセラ―オルテリウス地図の忠実なコピーで、朝鮮は、細長い島として表示され、それが島であることを疑問とする注釈が付いている。日本の3つの主な島はオルテリウスのものとほとんど同じ詳細の描写であるが、装飾の西洋のガリオン船と日本の平型帆船が本州の北と南に追加されている。奇妙な海の怪獣が九州の南西沿岸で泳いでいる。フランドル派の彫版の典型である魅力的な装飾模様が右上のタイトルと下右のマイル縮尺を装飾している。 17世紀初頭の日本地図の2折判地図帳の最も精巧なものの一つで、1595年のテイセラ‐オルテリウスの諸島の輪郭を普及させた。

No.19
ホンディウス, J ― パーチャス, S ( HONDIUS, J. - PURCHAS, S. ) 

「 日本島 (IAPAN.I) 」 
16.5×13(cm) (1607)1625
【解説】:「パーチャスのピルグリムス」と題したS・パーチャスの有名なイギリスの新発見時代の大航海物語に発表された日本の魅力あるミニアチュア地図である。この作品に使用された地図は、1607年初版のメルカトールの「小型地図帳」からのものである。 この地図はテイセラーホンディウスの大きな2折判地図を踏襲したものであるが、全ての主要居住地は示されているが、3つの主な島だけが表示されている。右下に魅力的な 渦巻き模様の表題枠が、突き出た羅針盤の下に描かれている。ドイツマイルの縮尺がタイトルの右に見える。 左ページの英文は17世紀初頭の日本に関するイギリス人の見方に対する魅惑的な洞察を述べており、またW・アダムズ(三浦按針)の同僚で、イギリスの東インド会社平戸(フィランド)在外商館の初期の社員だったR・クックの手紙の要約を含んでいる。 繰返し再版されたポケット地図帳地図のイギリス発行の普及版である。

No.20
ベルティウス, P ( BERTIUS, Petrus ) 

「 日本 (IAPAN) 」 
13×8.5(cm) (1616)1618
【解説】: この魅力的な日本地図のミニアチュアは、1616年以降版のベルティウスの「地理学地図」に発表され、ホンディウスが印刷したものである。 ベルティウス(1565-1629年)は、P・ファンデンキールおよびホンディウスとも義理の兄弟である。1618年にフランスのルイ十三世の地理専門家に任命される前、一時はライデンで数学教授を務めたこともあった。 ベルティウスの地図作成上の非常に重要な仕事は、1600年に初めて出版されたポケット地図帳「地理学地図」で、その後ホンディウス、ヴィッシャー、ヤンソンによって、1650年まで出版が続けられた。 1616年版の日本地図は新しいもので、ベルティウスが1600年以来彼の地図帳に編入した1598年のランジェーヌの地図を入れ替えている。 地図は1595年のオルテリウス―テイセラの輪郭を踏襲しているが、朝鮮の南端しか表示していない。魅力的な装飾は、中央の下に一艘の船と海の怪獣、右下に魅力的な渦巻き模様の表題枠を含んでいる。 この地図は、1618年のフランス版の地図帳からのものである。

No.21
ホンディウス, J ― ヤンソン, J ( HONDIUS, J. - JANSSON, Jan ) 

「 日本 (IAPONIA) 」 
19×13(cm) 1628
【解説】: この地図は、ヤンソンの1628年、メルカトール―ホンディウスの「小型地図帳」、本地図帳の完全新版シリーズの第1番目のアムステルダム版に初めて発表された新しい地図である。この地図帳のなかの地図は、ファンデンケールおよびグースにより彫られた。日本の地図はファンデンケールの刻印が地図の下中央に印されている。 この地図は最初の1607年、メルカトール―ホンディウスの日本のミニアチュア地図よりもっと一般的な縮尺に基づいており、その見本として1595年のオルテリウス―テイセラ型から複写された1606年の諸島の2折判地図を見本としたものである。 地図は、中国の沿岸、細長い島としての朝鮮と3つの島からなる日本である。表題は、 魅力的な渦巻き装飾に囲まれて壁掛けのような感じで右上にあり、スペインとドイツマイルの縮尺は右下にある。 これは1628年のラテン語版の地図である。

No.22
カルディム, A ( CARDIM, Antonio ) 

「 カルディムの最も重要なイエズス会の地図 1646年 新詳細日本図 カルディム作 (Antonio Cardim's most important Jesuit map 1646 IAPPONIAE Nova et accurata descriptio Per R.P. Antonium Franciscum Cardirm Societate IESU Ad Elogia Iapponia) 」 
41×27(cm) 1646
【解説】: この日本に関する初期イエズス会の最も重要な文書は、1646年ローマでC・エアーズによって出版されたカルディムの日本のカソリック教会の苦しい試練の物語「日本殉教精葦」に発表された。 カルディム(生年は1595-1659年とも1596年-1549年とも)は、日本のイエズス会修道会の会計事務長であった。中国の義和団員による地図はおそらく1614年以前に作成されていたが、後まで出版されなかった。カルディムの地図は、その多くを、おそらくはI・モレイラ 1592年頃(現在喪失)を下敷きに作成された地図で、当時イエズス会の報告に発表された情報と輪郭に多くを負っている。非常に類似した地図が1641年に、B・ジンナーロの出版したフランシスコ・ザビエルの生涯の物語に発表されている。 地図は大変に詳細で、情報もぎっしり書込まれている。イエズス会の任務と聖職者団は地図の上にある番号付き記号で識別される。諸島の形は、以前の輪郭に比べて、海岸線の出入りがさらに増えてより正確になった。魅力的な挿し絵が左下に見え、1549年8月鹿児島にポルトガル船に乗った聖ザビエルの到着を描いている。イタリア、ポルトガル、日本のマイル縮尺が右下に見える。 非常に重要で希少な地図で、日本のイエズス会のユニークな記録である。

No.23
ダッドレー, R ( DUDLEY, Sir Robert ) 

「 日本の最も重要な海図の一つ (One of the most important sea charts of Japan Asia carta di cia sete piu moderna.) 」 
56×42.5(cm) 1646
【解説】: 1646年フィレンツェで刊行されたダッドリー卿の重要な海図地図帳「海の秘密」の第2版のやや小さな日本地図である。 この地図は、この地図帳に収録された大判の日本地図と比べると、双方の輪郭は全く異なっていて、興味ある対照を見せている。この輪郭はジンナーロ(1641年)およびカルディム(1646年)によるイエズス会の地図と非常に類似しており、それが最も明瞭なのは、出入りの多い海岸線の細かさや琵琶湖が大きな内陸の入り江として瀬戸内海に大きく伸びていることである。ダッドリーがこの地図のデザインのためにイエズス会士の情報源を利用したことはありうることである。この地図は朝鮮の東部海岸および日本の3つの主な島を図示しているのみである。しかし北海道の輪郭は、大判の地図に非常に近く、地図の一番上に、西から東へ長い海岸線があり、テソイとも、ミナミとも、マツマイとも記述されている。 美しい絵画的な線描きと能筆は、イタリアの熟練した彫工ルチニの精巧な彫りで、この地図は17世紀日本のヨーロッパ地図製作史上最も重要な海図のひとつである。

No.24
ダッドレー, R ( DUDLEY, Sir Robert ) 

「 17世紀海図の非常に希少なものの一つ「日本と蝦夷、および朝鮮国と周辺諸島の地図」 (One of the most rare 17th Century sea charts Carta Particolare della Grande Isola del' Giapone e di Iezo con il Regno di Corai et aitre Isole in torne...) 」 
75.5×48.5(cm) 1647
【解説】: この華麗な日本の海図は、1646年から1647年にかけてフィレンツェで刊行されたダッドリー卿の最も重要で影響力をもった海図地図帳「海の秘密」のためにルチニによって彫られたものである。 ダッドリー卿は、レスター伯の非嫡出子で1605年頃からトスカナ公の庇護のもとにフィレンツェで異郷生活を送ったイギリス人である。 卿はほぼ30年間、2巻の海図を含む全6巻からなるこの記念碑的な地図帳の作製に従事した。これはイギリス人による初めての海図地図帳であり、また初めてメルカトル投影法によって作成されたという点で重要な地図帳である。 日本の地図は、この地図帳に出ている2つのうちの一つであるが、それ以前の輪郭とは全く類似のない様々な情報源から描かれたものに違いない。朝鮮は島として図示されている。3つの主な島は全て良く画定された海岸の詳細が図示されている。奇妙な特徴はオミ川が北に向かって流れ、その河口に江戸の町が図示されていることである!北の方には、大きな東西に亘った広大な土地が地図の上部を横切って広がり、テソイ、ミナミおよびマツマイと記述されている。地図はルチニの華麗かつ優美な美しい絵画的な線描きによって美しく彫られている。これは後に1661年版が刊行されている。

No.25
ヤンソン, J ( JANSSON, Jan ) 

「「日本図」 (IAPONIAE NOVA DESCRIPTIO) 」 
45×34(cm) 1647
【解説】: 1595年のオルテリウス-テイセラ型の地図に由来するこの希な後世の地図は、初めて17世紀中期の終わりに出版されたメルカトル-ホンディウス-ヤンソンの地図帳のシリーズに出てくるが、具体的にはこれは、アムステルダムで出版されたヤンソンの1647年版「新地図帳」のものである。 既出のメルカトル-ホンディウスの1606年の2折判地図に近い模写であるが、右上に魅力的な月桂樹の枚に飾られた楕円形の花枠の表題がつき、右下には割りコンパスを使う子どもの天使が座った花柄装飾のマイル縮尺がある。 日本の地図製作の観点からは、テイセラ地図に関して実質的には何の進歩も無く、朝鮮は長い島として図示され、3つの主な島のみで、北海道の表示は全くない。2艘のヨーロッパのガリオン船と海の怪獣が諸島海岸沿線の海を装飾している。 この地図はこの地図帳の1647年ラテン語版初版からのものである。

No.26
ヴァレニウス, B ( VARENIUS, Bernard ) 

「 影響を及ぼした日本に関する書物の表題頁 1649年「日本国図」 (The titlepage of an influential book on Japan 1649 DESCRIPTIO REGNI IAPONIAE...) 」 
5×10(cm) 1649
【解説】: この精巧に彫られた表題頁は、アムステルダムで1649年に、有名なエルツエヴィル出版社が出版し最も影響を及ぼした、またおそらく12折判の最も小さい書物の一つであるヴァレニウスの日本に関する本からである。 オランダの医者でありまた地理学者であるヴェレニウスは日本に関する入手可能な全ての17世紀の情報源として、イエズス会士の書簡、マッフェイの歴史、マルコ・ポーロ、カロン、他の記述などの情報を順序正しくまとめ、この重要で影響を及ぼした本を作成した。この本は後の多くの地図製作者および地理学者にとって情報源となった。 興味深いことに、このタイトル頁は、後1663年のカロンの日本に関する本のドイツ語版のタイトル頁にその構成はほとんど同一であるが、地図は別であり、二人の日本人が開いた地図は、どちらかといえば、様式化した「行基」の本州地図のようである。 小さな日本地図を図示した魅力的に彫られたタイトル頁のある重要で影響を及ぼした本である。

No.27
サンソン, N ― ブリエ, P  ( SANSON, N. - BRIET, P. ) 

「 フランスイエズス会士のカルディムの複写 日本王国、イエズス会の回想録に基づく同会Ph ブリエ神父の指示による。 (A French Jesuit copies Cardim ROYAUME DU JAPON Designe par le Pere Ph Briet de la Compagnie de Jesus Sur les Memoires de la mesme Compagnie.) 」 
52×37(cm) 1650頃
【解説】: サンソンのためにパリでP・マリエットにより出版された日本の重要な地図で、北フランスのイエズス会士で、サンゾンの生まれ故郷アッベヴィル居住のイエズス会神父ブリエによって作成された。 ブリエの見本は、1646年の諸島の海岸線が複雑にいりくんでおり、また特に瀬戸内海が誇張されたカルディムの地図を非常に厳密に踏襲している。66の地域区分はその地域の主要都市と同じく明確に描かれている。 重要な2折判大判の17世紀の地図で、日本のぎざぎざの形を普及させ、フランスの地図製作、また特にサンソンの地図に、この形を流布させることとなった。

No.28
ホンディウス, J ― ヤンソン, J ( HONDIUS, J. - JANSSON, Jan ) 

「 デ・フリースの実地調査を示す最初の印刷地図「日本および蝦夷図」 (The first printed map to show De Vries'surveys IAPONIA et TERRA ESO) 」 
19×15(cm) 1651
【解説】: 非常に重要でまた見過ごされてきた地図で、この小さなミニアチュアは、1651年アムステルダム版ヤンソンの編集になるドイツ語版メルカトル「小地図帳」で、わずか7年前のデ・フリースの探検での発見を示す最初の地図である。これはヤンソンのもっとも有名で、1652年頃最初に出版された大判2折判海図以前のものである。 この地図は、中国、三角形の島として図示された朝鮮、日本の3つの主な島は精巧なテイセラの輪郭に基づき、北方のデ・フリースの発見は、大きなエゾが北海道およびサハリン、スターテン島の千島諸島と会社の島を一緒にまとめて、その東海岸は空白で未完成である。 非常に珍しく重要で希少なミニアチュアで、この地図は1651年のこの版にのみしか出ていない。

No.29
サンソン, N ( SANSON, Nicolas ) 

「 日本諸島の図示 (DESCRIPTION DES ISLES DU JAPON...) 」 
27×18(cm) 1652
【解説】: 1652年出版の小型4折判の地図帳「アジア地図帳」はサンソンによって出版された希少な日本地図の非常に立派な見本であるが、パストローは、この地図を地図帳の1658年版ではサンソン、1652年の別の小地図を入れ替えて、この地図として記録している。 マリエットおよびサンソンによって出版されたブリエ作成の大判2折判の1650年の地図と同じく、地誌的また地図製作上の情報は1646年の珍しいカルディムの地図から、また記述は1649年に最初に出たオランダの地理学者ヴァレニウスの影響を及ぼした小型のエルツエヴィル出版の「日本国図」から引用された。 この地図は、日本のいりくんだ海岸線を繰返し図示し、また琵琶糊は、瀬戸内海から伸びて誇張された形で大きく描かれている。 地図は7地方に分けられ、下の中央に渦巻模様の楕円形の枠をともない、右にはたれ幕のついたマイル縮尺がある。 希少で、また珍しいカルディムの変形地図。

No.30
サンソン, N ( SANSON, Nicolas ) 

「 日本諸島 (LES ISLES DU IAPON) 」 
24×18.5(cm) 1652
【解説】: サンソンによるこの興味ある地図は、フランスの地図製作者による最初の小型4折判地図帳であり、その1652年に出版の地図帳「アジア地図帳」に発表されたものである。この地図はピローニンによって彫られたもので、彼の刻印が左下に見える。 これは日本の非常にいりくんだ海岸線のある1646年のカルディムの地図を踏襲したサンソンの1650年および1652年(著作権)の以前の地図と、その輪郭が非常に異なっている。興味深いのは、諸島の形はヤンソンの影響のある1652年と59年の海図に非常に忠実なことである。後の1683年の地図と同じように、奇妙で並外れた三角形の島としての朝鮮を借用しているが、もっと正確な北海道の輪郭は組み込んでいない。日本の北にある陸地は「イエッソ、イェゾ、またはセッソ島または陸地」と呼ばれ、朝鮮島の北から本州北部へ広がっている。 この地図は、後の版の地図帳ではカルディムを踏襲した別のものと入れ替えられているが、地図帳の1683年版のための、デウィンターが彫った新しい地図の見本であった。

No.31
ヤンソン, J ( JANSSON, Jan ) 

「 千島諸島および「会社の土地」-混乱した考え 日本国エゾ新詳細(図) (Kuriles and "Company's Land"-A confused picture NOVA ET ACCURATA IAPONIAE TERRAE ESONIS...) 」 
55×45.5(cm) 1652頃
【解説】: 17世紀の西洋の歴史上重要な日本地図で、初めてイェゾ(北海道)南部および北方諸島の海岸線のいくつかの実地調査が行われたが、その中の情報の一つを提供するものである。この地図は初めて1652年、ヤンソンの「大地図帳」の海図部第5巻に出た。 地図は、1643年にバタヴィアから重要なオランダの探検を指揮し、またヨーロッパ人で初めてこの地域の水域を海図にした一人に数えられるデ・フリースの海図から引用されている。この探検は、全ての外国人に対して鎖国政策を取っていた日本には上陸しなかったが、その北に進路を取り、日本北部および北海道の沿岸水域の詳細な水深測量を行った。探検隊は後にサハリンの南海岸を探検し、この地図は、北海道とサハリンが繋がっており、またアジア大陸に繋がっているという信念を強める結果となった。日本の輪郭はマルティーニの1655年の地図より以前のものであるが、しかし奇妙な朝鮮島を描いている。千島諸島の最南端は、オランダのオランダ国会にちなんで「スターテン島」と呼ばれ、イルップについては、デ・フリースは悪天候のもとでしか観察できなかったので、オランダ東インド会社VOCに敬意を表して「会社の土地」と呼ばれた。その東の果ては不明確で、将来に多くの推測を残す元となった。 キャンベルはこの地図の作成日を1659年と鑑定したが、コーマンは1652年の版を示している。

No.32
マルティーニ, M ― ブラウ, J ( MARTINI, Martino - BLAEU, J. ) 

「 17世紀の最も正確な地図の一つ「日本国」 (One of the most accurate maps of the 17th Century IAPONIA REGNUM) 」 
57×41.5(cm) 1655
【解説】: 17世紀の最も影響力を及ぼしまた重要な日本地図の一つであり、この地図は中国の杭州のイエズス会修道院長であったイタリア人マルティーニ(1614-1661年)が編集したものである。マルティーニの地図はJ・ブラウの注目する所となり、日本、中国および中国各省の17枚全ての地図を彼の「地球の舞台あるいは新地図帳」の第六巻「中国地図帳」に組み入れたのである。そして、これは中国に関する最初のヨーロッパ地図帳であった。 この地図は、それまでの全ての描写よりもかなりの向上が見られ、「19世紀以前の印刷された地図のどれよりも、日本の真の形に近い輪郭」(キャンベル)である。 3つの主な島は、朝鮮半島と共に図示され、その半島の南の海岸線はかなりぎざぎざに描かれた。えぞ地(北海道)は地図の極端に上の端に見え、その大きさや本州との関係には何らの記述もない。マルティーニは全ての大きな町や都市を示している。 彫りは精緻また優美で、この地図は1672年までに刊行されたブラウの地図帳に出ており、またP・モルティエの刻印と共に記録されているが、モルティエはこのブラウの判のいくつかを1690年代に入手した。 非常に重要でまた影響を及ぼした地図である。

No.33
デュヴァル, P ( DU VAL, Pierre ) 

「 日本諸島 (ISLES DU JAPON) 」 
12×10(cm) 1661
【解説】: デュヴァル(1618-83年)はサンソンの甥で、1661年パリで出版された彼のミニアチュア地図帳「世界地理」のために、この非常に稀少な日本のミニアチュア地図を作成した。この地図帳の版は、1670、1672、1676、1677、1682、1688、1712年と版を重ねており、この小型ポケット地図帳の人気を示すものである。 この地図のフランス語のタイトルを替えた、2つの別版のラテン語タイトルで出ている。 地図そのものは、叔父のサンソンとブリエの、誇張されたぎざぎざの海岸線と7つの地方に分けた輪郭を踏襲している。 タイトルは左上に小さな花綱の枠に囲まれている。