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フィリップ ガレ
(
Philip Galle
)
「
A・オルテリウスの肖像画
(PORTRAIT OF ABRAHAM ORTELIUS)
」
22×32(cm)
1579頃
【解説】:
ヨーロッパで刊行された日本地図
1506年-1868年200枚の珍しいオリジナル地図のコレクション
この立派なオルテリウスの肖像画は、1579年以降出版を重ねたオルテリウスの有名な世界アトラス「世界の舞台」の刊行書のために、フィリップ・ガレ(1537- 1612)によって彫られたものである。
オルテリウスは、オルテル(1528-1598)という名前でも知られているが、アントワープの生まれで、ギリシャ語、ラテン語、数学を学んだ後、アントワープで書籍商兼「地図描き」の商売を始めた。ヨーロッパ中を広く旅行して、多くの書籍フェアで、多数の知識階級との接触があった。
1564年、8枚からなる世界地図を出版した。これは今日1枚しか知られていないが、その後まもなく、友人の示唆によって、ヨーロッパ中の地図製作者とのつながりを利用してヨーロッパと世界中全ての地方の地図を収集し、校合を始めた。オルテリウスはこのコレクションを、統一したサイズと様式で彫り、 1570年あの有名な世界大地図帳「世界の舞台」として出版した。これは、一般に初めての真の地図帳と考えられている。この「舞台」はたちまち成功を収め、その後40年以上にわたって、42版を重ね、増補版が繰返し出版された。
オルテリウスが、多くの地図を統一した体裁に系統立てて、また広範な地図製作のサークルに接触が及びえたことで、多くの人から「現代の地図作成の父」とみなされることは当然のことである。
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No.1 コンタリーニ, G
(
CONTARINI, Giovanni
)
「
日本を図示した最初の印刷された世界地図 1506年
無題:布パネルは、プトレマイオス地理と読める
(The first printed World map to show Japan 1506
Untitled: Textual panels read: Geographia ptholemei... (Facsimile))
」
63×42(cm)
1506
【解説】:
この重要な地図は、1922年に初めて発見され,英国図書館(BL)のコレクションである。これが、唯一発見されて現存する1枚である。
この地図は、扇形すなわち円錐形投影法図による優雅な銅板の彫版で、ヴェネチアかフィレンツェで印刷された。フランシスコ・ロウズリの彫り、コンタリーニのデザインで、この地図は16世紀初頭コロンブス直後に世界の一つの道標を示す世界地図である。
地図上に初めて世界の東と西の地域の関係が描かれた。アメリカは、依然として東アジアの延長部分として表示され、中国の1地域に付けられたマルコ・ポーロの名前であるタングット(タングート)と呼ばれた。南北アメリカを繋ぐ部分は描かれておらず、キューバの西の沿岸線は描かれていないが、例外としてジパングリ島(日本)が単一の長円の島としてあり、これが、日本を表す最も初期のものの一つである。コンタリーニは当時の多くの同時代人と同じく、注記にコロンブスの1902-04年の最新航海について、また金を求めてチアンバへ到達したことを記述している。これはおそらくポーロのチャンパ、現在のコーチシナを指しており、このことは、コロンブスの発見は依然として誤解をもたらしていることが明らかである。
これは、1926年大英博物館が作成した詳細な文を伴った複製である。
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No.2 プトレマイオス, C ― グルニンガー, J
(
PTOLEMY, C. - GRUNIGER, J.
)
「
マルコ・ポーロの(古)中国と伝説のジパングリ 1525年
インド(図)
(Marco Polo's Cathay and fabled Zipangri 1525
(TA(BULA)) SUPERIORIS INDIAE...)
」
46(最長部)×29(cm)
1525
【解説】:
これは1525年の版であるが、マルコ・ポーロの大汗国ヘの旅の見聞録の情報を組み込んだ、有名な1522年の極東の「近代」投影法図による台形地図である。この地図はポルトガルが初めて日本と接触を持つ直前の、大発見時代以前の日本を記述した最初のものの一つに数えられる。この時代の多くの地図同様、日本は一つの長い島、「ジパングリ」として、北回帰線が横切って表示されている。マルコ・ポーロからの引用文がこの島を説明している。大力ーンは、右上のテントの陣地内に描かれている。
この地図の出版は、1525年 J・グルニンガーが出版したプトレマイオスの「地理学教程」のストラスブルク版に見られる。裏側のラテン語の文は、とりわけこの地域の詳細な説明をポーロから引用している。重要な初期の木版で、極東の最も古い詳細な地図の一つである。これはさらに1535年版と1541年版にほとんど変更無しに出ている。この地図は、1522年版にあったページの上に旗で囲まれたタイトルが省略されている点が異なっている。
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No.3-1 ボルドーネ, B
(
BORDONE, Benedetto
)
「
最初の独立して印刷された日本の描写 1528年
日本
(The first separate printed depiction of Japan 1528
Ciampagu)
」
15×8.5cm(cm)
(1528)1534
【解説】:
ボルドーネの有名な島の本、「世界島輿誌」に出た単独の日本を描いた最初の地図で、1528年にヴェネチアで初めて出版された。
チアパングと呼ばれた日本の地図は、事実上日本を独立して示した最初のヨーロッパの地図で、そのため日本地図コレクションの一里塚をなすものである。
この地図は、日本を様式化した一つの島の見本として、その首都チアパグとして示している。島の見本は、マルコ・ポーロに基づくもので、それゆえに16世紀初期のポルトガル地図以前の日本のものとして、おそらく最も良くできた見本の一つであろう。
この見本は1534年版から取られている。地図を囲む文は、これ以降の版では組み直されている。この地図帳はエーゲ海およびギリシャの7枚の見開き地図を含んでいる。105枚の地図は、西インド諸島並びに東南アジアおよび極東の初期の詳細地図をはじめとする当時世界で知られていた全ての島を図示している。
非常に重要な画期的地図で、日本の地図コレクションの礎石である。
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No.3-2 ボルドーネ, B
(
BORDONE, Benedetto
)
「
最初の独立して印刷された日本の描写 1528年
日本
(The first separate printed depiction of Japan 1528
Ciampagu)
」
15×8.5cm(cm)
(1528)1534
【解説】:
ボルドーネの有名な島の本、「世界島輿誌」に出た単独の日本を描いた最初の地図で、1528年にヴェネチアで初めて出版された。
チアパングと呼ばれた日本の地図は、事実上日本を独立して示した最初のヨーロッパの地図で、そのため日本地図コレクションの一里塚をなすものである。
この地図は、日本を様式化した一つの島の見本として、その首都チアパグとして示している。島の見本は、マルコ・ポーロに基づくもので、それゆえに16世紀初期のポルトガル地図以前の日本のものとして、おそらく最も良くできた見本の一つであろう。
この見本は1534年版から取られている。地図を囲む文は、これ以降の版では組み直されている。この地図帳はエーゲ海およびギリシャの7枚の見開き地図を含んでいる。105枚の地図は、西インド諸島並びに東南アジアおよび極東の初期の詳細地図をはじめとする当時世界で知られていた全ての島を図示している。
非常に重要な画期的地図で、日本の地図コレクションの礎石である。
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No.4 ミュンスター, S
(
MUNSTER, Sebastian
)
「
最上のルネッサンス世界地図の一つである 1540年
我らが全世界を図示した木版の一般地図
(One of the finest Renaissance World Maps 1540
General tafel begreifend der gantzen undern Weldt beschreibung.)
」
34.5×26(cm)
1540
【解説】:
この重要で影響力をもった楕円形の木版世界地図は、ミュンスターのプトレマイオスの「地理学教程」の最新版に、改定地図の一つとして、1540年版に初めて現れた。ミュンスターはバーゼル大学のへブライ語の教授であり、ヘブライ語の一流の権威、数学者、初期ルネッサンス期の地図製作者の一人であった。彼のプトレマイオスの作品の改定は、彼に対する尊敬とまた悪評をも広めた。
地図の12の管楽器奏者達の頭で見事に装飾され、その2つは西と東に地図の中に置かれた。地図製作技法はわずかに様式化されているが、ミュンスターはヴェラッツァノおよびカルティエの報告を使用して、非常に独特で歪められたアメリカ両大陸の像を作り出し、インド洋およびスパイス諸島はスカンディナヴィア北部から突き出た長い岬につながっていて、容易に到達できるという当時信じられたことを強める結果となった。アフリカはプトレマイオスの「月の山々」のナイル川の源流と共に表示され、そのさらに東に、マルコ・ポーロの「キャセイ(中国)」および「ジパングリ」日本が、一つの島国の見本として識別されている。
この地図は太平洋にその名を与えた最初のものの一つである。この地図を入替えるために、1550年に新しい木版がでたので、これは初期ルネッサンス期の地図製作の不正確さを露にする、珍しい重要な地図である。
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No.5 ミュンスター, S
(
MUNSTER, Sebastian
)
「
重要なルネサンスの新世界の地図
西方・インドに関する新諸島図
(An important Renaissance map of the New World
Tabula novarum insularum, quas diveris respectibus Occidental & Indianas vocant.)
」
34×25.5(cm)
1550頃
【解説】:
この重要で影響力をもったアメリカ大陸の地図は、初めて1540年版のプトレマイオス「地理学教程」のミュンスターの改定版に出た。
プトレマイオスの「地理学教程」の最新作品の部に現れた世界地図と同じく、ミュンスターはその地理製作の多くを、ヴェラッツァノおよびカルティエの報告に基づいていた。この事は、ヴェラッツァノがチェサピーク湾をインド洋と混同したため、狭い地峡のある異常な形をした北アメリカとなった。さらに北は、カルティエのセントローレンス上流と東部のグレートレイクの探検が、北西航路に対する信奉を引き続き助長した。
南米の東沿岸は、ヴァルトゼーミュラーの初期の地図と類似した投影法図で表示され盗用された同じ小さな飾り模様で完成されている。
その西に、日本は、「ジパングリ」としてポーロの見本と同じ一つの島が、インド諸島の7448の島々と、ポーロの中国と共に表わされている。マゼランの「ヴィクトリア」号が太平洋に描かれ、前記世界地図と同じく、「太平洋」という名称が初めて印刷地図に表された。
重要で影響を及ぼした初期のアメリカ大陸の木版地図である。
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No.6 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
オルテリウスの礎石となるアジア地図 1570年
「アジア(図)」
(Abraham Ortelius' milestone map of Asia 1570
ASIAE NOVA DESCRIPTIO)
」
48×37(cm)
1570
【解説】:
オルテリウスのアジア大陸の精巧な地図は、1570年にアントワープで出版された彼の世界地図帳「地球の舞台」に初めて現われた。
この地図は、地中海の東部から、東南アジアのニューギニア沿岸そして極東の日本ヘと伸びている。投影法図の歪みは、本州、四国、九州の一部はだいたい識別できるが、日本に異常な輪郭をもたらしている。マレー半島からの中国の海岸線の湾曲はかなり平らで、朝鮮半島または付近の島々や北に向かう海岸線の描写はない。
この地図は、「地球の舞台」に出た日本の5つの異なった輪郭の一つを示すものであるが、詳細の多くは、1年前に出たメルカトール世界地図に由来すると思われる。
重要でかつ影響を及ぼしたアジア大陸の地図である。
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No.7 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
オルテリウスの凧型の日本 1570年
東インド図
(Abraham Ortelius'kite-shaped Japan 1570
INDIAE ORIENTALIS, INSULARUM ADIACIENTIUM TYPUS)
」
49.5×35(cm)
(1570)1573
【解説】:
最もよく知られた東南アジアの地図の一つに数えられるのは、1570年、アントワープで初めて「地球の舞台」に発表されたオルテリウスの地図である。この地図は1573年刊のラテン語版で、インドからニューギニアおよび北アメリカの沿岸までのアジアの全てを示すものである。日本はとりわけ際立っており、 1569年のメルカトール世界地図の島の輪郭で、大きな中央部が丸みを帯びた島に北と南側に向けて尻尾のような小さな小島のあるものを踏襲している。朝鮮は表示されていない。日本のこの図は、1540年代以降ヨーロッパに現われ始めた中国の地図で、伝統的に島々をこの日本の扱いと同じように、円形で表現したことから出た可能性がある。
日本とアメリカ西部の海岸の間には、ガリオン船が2匹の恐ろしい海の怪獣と命がけで戦っている。その下には、2匹のマーメイドが鏡に映る姿に見ほれている。
地図の下右隅に注釈があり、モルッカ香料諸島およびニューギニアは、一つの島なのか、大オーストラリア大陸の一部なのかは、不確かであるとしている。
この地域にポルトガルの影響が及んでいることは、左上のポルトガルの盾形紋章に現われている。
この地域の重要で影響力を持った地図である。
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No.8 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
北太平洋の地図製作の基礎となる地図
韃靼図
(A foundation map in North Pacific Cartography
TARTARIAE SIVE MAGNI CHAMI REGNI typus)
」
47×35(cm)
(1570)1595
【解説】:
オルテリウスのアジア東部およびアメリカ北西部の重要な基礎となる地図で、「地球の舞台」に初めて発表された。(アントワープ1570年)
地図は、アジアの東部をカスビ海から中国北部および満州まで示している。日本諸島が 描かれた東方に、アメリカの西海岸はバハ半島を含めて描かれていて、ケープ・カリフォルニアと呼ばれているが、この名前が使用され始めたころの一つである。
日本の形は極端に歪められているが、本州と四国は容易に識別できる。本州では、ミヤコ(京都)、アマグコ?(山口)、オサクァ(大坂)の都市が、九州では鹿児島が認められる。注記にはマルコ・ポーロのジパングリの記述がある。
装飾的な渦巻き模様の表題枠が右上と左下に描かれている。この地図は1595年版のラテン語版のものである。
重要な初期の地図で、ヨーロッパの北太平洋地図製作の基礎となる地図である。
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No.9 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
東インド諸島および(アジア)図
(Indiae orientalis insularumque adiacientum typus)
」
11×8(cm)
(1577)1589
【解説】:
ガレによるオルテリウスの有名な「舞台」のミニアチュア版から取られた魅力的なミニアチュア地図である。1577年が初版で、より大きい2折判の忠実な複写である。この地図は1588年アントワープで出版された「エピトーム」のフランス語第3版から取られている。
地図は東南アジアをインドから日本まで、またアメリカ北西の一部を示している。地図製作上の詳細および輪郭は1570年に出版された大判の2折判の地図と殆ど同じで、日本はメルカトールの1569年の地図の凧の形の見本である。
ガレにより精緻に彫られた地図は、大判の地図から取った1、2の小さな注釈があるが、注目すべきものはニューギニアについてのものである。
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No.10 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
西洋で最初の中国地図 1584年
中国図 ルドヴィコ・ジョルジオ作
(The first Western map of China 1584
CHINAE olim Sinarum regionis descriptio auctore Ludivico Giorgio)
」
47×37(cm)
(1584)1595
【解説】:
オルテリウスの有名な「地球の舞台」の1584年版に発表された、西洋の最初の中国の地図である。この地図は、ポルトガル人L・デ・バーブダの報告に基づいており、またこれは早くからイエズス会派の中国における伝導の浸透を反映している。地図は北を基点にして右へ、マレー半島および北フィリッピンから萬里の長城と日本の殆どを網羅している。日本は、初期のポルトガル地図製作者の輪郭で示され、大きく歪められた本州は明らかに三日月型で、大きな内陸の海峡または内海で分割されている。
中国の描写は独特で、河川は内陸の無数の湖から発して、最大のものは西の国境にあり、全体としてこの国は水路によって開析されていると言う画像を作り出している。萬里の長城は北の山脈に沿って表示されている。
裏側の文はエスカランテによって持ちかえられた中国書の最初の見本をいくつか含んでいる。
重要で影響を及ぼした地図で、ラテン語版の1595年か1601年のものからである。
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No.11 キサトゥス, R
(
CYSAT, Renwart
)
「
初めてイエズス会が印刷した日本地図 1586年
偉大な新発見の有名な日本諸島(複製)
(The first printed Jesuit map of Japan 1586
Der grossen namhafften neufundlicherfundnen Japponischen Inseln (Facsimile))
」
41×26(cm)
1586
【解説】:
この非常に重要で影響を及ぼした日本地図は、1586年スイスのフレイブルクで出版されたキサトゥスの「新発見された日本の島およびその五国についての真実の報告」に出ている。
キサトゥスはルッツェルン市の行政長官で、1585年に日本について彼が収集できる全ての資料の編集を始めた。キサトゥスはルッツェルンのイエズス会の神学校長M・ロイベンシュタイン神父の親しい友人であった。ロイベンシュタインは宣教師として日本へ行くことを望んでいたが、彼を通じてキサトゥスは最新のイエズス会の書簡の写しを入手していた。この本はイエズス会の情報源による詳細な概観で、1584年から86年にわたる日本の遣欧使節団のスペインからローマに至る話を含んでおり、これがキサトゥスの資料編集の背後にある主要な動機の一つであった。地図は日本遣欧使節団の成果として1585-6年頃のイタリアおよびスペインで作製された日本の行基式地図から出たものであろう。
地図は、日本の西にイエズス会の神学校があることは分かるが、日本を解明することは 困難である。九州と本州は合併され、大坂が本州の東に表示されている。
非常に奇異な、稀少で重要な地図で、この本では複製からの印刷である。
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No.12 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
最初の太平洋地図 1589年
太平洋(Zur 海として知られる。)
(The first map of the Pacific Ocean 1589
MARIS PACIFICI (quod vulgo Mar del Zur)...)
」
49×35(cm)
1589
【解説】:
1589年にオルテリウスの有名な世界地図帳「地球の舞台」の増補版第4巻に発表されたもので、この地図は今日入手可能な最初の太平洋の印刷地図で、特にマゼランの170年ほど前の世界周航の途上、太平洋横断を記念したものである。マゼランの「ヴィクトリア」号はマゼラン海峡を通り過ぎようとしており、帆を一杯に張り、礼砲を撃っている。
地図の特徴は、ソロモン諸島と呼ばれる大きな鎖状の島々で、大体のところ正しい位置にあり、一つの大きな南の大陸がティエラ・デル・フエゴからオーストラリアに向けて伸びている。ニューギニアはなお不正確で、日本は2、3年後に出たリンスホーテンの輪郭を忠実になぞっている。奇妙な三日月型の本州と不明の島デラ・プラタ諸島が北に位置している。これは、ヴィツカイノやデフリースの1609年と1643年の金と銀の島を求めた探検を参照したものであろう。しかしながらこれはバルトルメオ・ヴェルオの1563年の航海案内書の海図に驚くほど類似しており、北海道を示した最初の西洋の海図と考えられている。
非常に重要で影響を及ぼした地図で、その作者が直接オルテリウス自身によるとされる 数少ないものの一つである
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No.13 オルテリウス, A ― テイセラ, L
(
ORTELIUS, A. - TEXEIRA, Luis
)
「
日本の最初の近代的な地図 1595年
日本島図 ルトビゴ・テイセラ作
(The first modern map of Japan 1595
IAPONIAE INSULAE DESCRIPTIO Ludovico Teisera auctere... cum Imperatorio, Regio et Brabantiae privelegio decennali.)
」
48.5×35.5(cm)
1595
【解説】:
オルテリウスの精巧な2折判の日本地図で、これは日本の最初の真の近代地図であり、オルテリウスの有名な「地球の舞台」の増補版第5巻に発表され、1595年が初版である。
この地図はポルトガルの地図製作者テイセラの1592年頃の下書きを見本としたもので、おそらくは日本の初期のイエズス会士の報告と、多くの類似点のある日本国内の行基地図を基にしたものであろう。テイセラはもう1枚のアゾレの地図でも知られており、これはオルテリウスの版に出ている。
3つの主な島は、北海道は欠けているが、容易に分別できる士地の名前をつけて描かれている。朝鮮は長い島として表示され、装飾には魅力的な渦巻模様の花形枠と3艘のヨーロッパのガリオン船が半島の西海岸を囲むように描かれている。
重要で影響を及ぼした日本地図で、17世紀の中頃までは、これがヨーロッパの日本の画像として基準となった。
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No.14 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
日本島
(IAPONIA INSULA)
」
10×8(cm)
(1598)1603
【解説】:
日本の精巧な初期ミニアチュアで、オルテリウスの世界地図帳のミニアチュア版の1598年の「エピトーム(略図)」に発表された。アントワープのC・プランティンによる出版で、地図はガレが彫った。
この地図は、1595年のオルテリウスの2折判に発表された日本の最初の近代的ヨーロッパの地図に基づいたもので、またポルトガルの地図制作者テイセラの海図に基づいている。
これ以前の地図と異なり、この地図の範囲は日本までに限られており、諸島の3つの主な島のみが表示されている。
これは1603年の珍しい英語文の版で、ロンドンのJ・ノルトンによる印刷である。このライバルとなる「エピトーム」のコイグネット版もまた1603年にロンドンで出版された。スケルトンが正当に指摘しているように、「この2つの小さな本は、英語文のついた最も初期の世界地図帳」なのである。
初期のミニアチュアの重要で稀少な版である。
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No.15 ランジェーヌ, B ― ベルティウス, P
(
LANGENES, B. - BERTIUS, P.
)
「
日本
(IAPAN)
」
13×8.5(cm)
(1598)1612
【解説】:
この魅力的なミニアチュアの日本地図は、1598年以降、ランジェーヌのポケット地図帳「地理学地図」や、1600年以降、当時はベルティウスの「地理学地図」に発表された。
ベルティウス(1565-1629年)は、P・ファンデンキールおよびJ・ホンディウスとも義理の兄弟である。1618年にフランスのルイ十三世の地理専門家に任命される前、一時はライデンで数学教授を務めたこともあった。
ベルティウスの地図製作上の非常に重要な仕事は、1600年に初めて出版されたポケット地図帳「地理学地図」で、その後ホンディウス、ヴィッシャー、ヤンソンによって、 1650年まで出版が続けられた。ここに収められた地図は、1598年のランジェーヌのオリジナルと同じものである。これは1595年のオルテリウス―テイセラの輪郭を踏襲しているが、朝鮮の南端しか図示していない。海の部分は鮮やかな細かな線が引かれ、装飾には大きな水しぶきをあげる海の怪獣が中央下に描かれている。表題は右下の装飾枠の中に出ている。
この地図は、ドイツのフランクフルトで、H・ロレンツェンにより出版された1612年のドイツ版からのもので、説明文を伴っている。
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No.16 オルテリウス, A
(
ORTELIUS, Abraham
)
「
日本島
(IAPONIA INSULA)
」
10×8(cm)
1601
【解説】:
1601年のオルテリウスの世界地図帳「エピトーム(略図)」のミニアチュア版に初めて発表された日本の精巧な初期ミニアチュアである。これは、C・プランティンが、ガレが彫った地図と共に、アントワープで出版したもののライバル版でもある。
この地図は、1595年のオルテリウスの2折判に発表された日本の最初の近代的ヨーロッパの地図およびポルトガルの地図制作者テイセラの海図に基づいている。
これ以前の地図と異なり、この地図の範囲は日本だけに限られており、諸島の3つの主な島のみが表示されている。
J・キールベルゲンによる出版で、地図は、アルセニウス家のアンブロシウスとフェルディナンド兄弟が彫った。地図はガレの地図を修正したもので、酷似しているが、彫りの質がより精巧で、緯度経度線が含まれている。装飾のタイトルの部分は、簡単な線の枠に置きかえられている。
この地図は1601年の新地図帳の第1版から取られた。
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No.17 ウイットフリート, C
(
WYTFLIET, Cornelis van
)
「
日本王国
(IAPANIAE REGNUM)
」
12.5×9.5(cm)
1605
【解説】:
この珍しくて魅力的なミニアチュアの日本地図は、 1605年以降フランスのドゥアイで出版されたウイットフリートの「東西インドの歴史」の最初のフランス語版に発表された。
ウイットフリートは、ベルギーのブラバン地方議会の書記官で、プトレマイオスの「コスモグラフィア」の補遺を書いた。1597年ルウエンで刊行されたこの補遺の最初の版は、アメリカだけを取扱った地図付きの最初の独立した地図帳とみなされる。
1605年、1606年、1607年、1611年のフランス語版は、地図帳の範囲を広げ、東インド諸島、中国、フィリッピン諸島、日本の地図を含むようになり、通常は4つの地図が1枚の2折半紙に印刷されているのが見られる。
実質的には、ウイットフリートの地図はB・ランジェーヌの1598年の魅力的な地図の忠実なコピーで、中央下の水しぶきをあげる恐ろしい怪獣までも写し取っている。地図のタイトルは地図の上の線描の枠内に移動している。またランジェーヌの元の地図より彫りは劣っている。
希少で珍しい初期のミニアチュアである。
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No.18 ホンディウス, J
(
HONDIUS, Jodocus
)
「
17世紀初頭の最も精巧な地図の一つ
日本図
(One of the finest early 17th Century maps
IAPONIA)
」
44.5×34(cm)
(1606)1609
【解説】:
メルカトールの「地図帳」の新しい最新版のために彫られた36枚の新地図の一つで、ホンディウスによって1606年に初めて出版された。この地図は1609年のフランス語版からのものである。
これは1595年のテイセラ―オルテリウス地図の忠実なコピーで、朝鮮は、細長い島として表示され、それが島であることを疑問とする注釈が付いている。日本の3つの主な島はオルテリウスのものとほとんど同じ詳細の描写であるが、装飾の西洋のガリオン船と日本の平型帆船が本州の北と南に追加されている。奇妙な海の怪獣が九州の南西沿岸で泳いでいる。フランドル派の彫版の典型である魅力的な装飾模様が右上のタイトルと下右のマイル縮尺を装飾している。
17世紀初頭の日本地図の2折判地図帳の最も精巧なものの一つで、1595年のテイセラ‐オルテリウスの諸島の輪郭を普及させた。
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No.19 ホンディウス, J ― パーチャス, S(HONDIUS, J. - PURCHAS, S.)
「
日本島
(IAPAN.I)
」
16.5×13(cm)
(1607)1625
【解説】:「パーチャスのピルグリムス」と題したS・パーチャスの有名なイギリスの新発見時代の大航海物語に発表された日本の魅力あるミニアチュア地図である。この作品に使用された地図は、1607年初版のメルカトールの「小型地図帳」からのものである。
この地図はテイセラーホンディウスの大きな2折判地図を踏襲したものであるが、全ての主要居住地は示されているが、3つの主な島だけが表示されている。右下に魅力的な 渦巻き模様の表題枠が、突き出た羅針盤の下に描かれている。ドイツマイルの縮尺がタイトルの右に見える。
左ページの英文は17世紀初頭の日本に関するイギリス人の見方に対する魅惑的な洞察を述べており、またW・アダムズ(三浦按針)の同僚で、イギリスの東インド会社平戸(フィランド)在外商館の初期の社員だったR・クックの手紙の要約を含んでいる。
繰返し再版されたポケット地図帳地図のイギリス発行の普及版である。
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No.20 ベルティウス, P
(
BERTIUS, Petrus
)
「
日本
(IAPAN)
」
13×8.5(cm)
(1616)1618
【解説】:
この魅力的な日本地図のミニアチュアは、1616年以降版のベルティウスの「地理学地図」に発表され、ホンディウスが印刷したものである。
ベルティウス(1565-1629年)は、P・ファンデンキールおよびホンディウスとも義理の兄弟である。1618年にフランスのルイ十三世の地理専門家に任命される前、一時はライデンで数学教授を務めたこともあった。
ベルティウスの地図作成上の非常に重要な仕事は、1600年に初めて出版されたポケット地図帳「地理学地図」で、その後ホンディウス、ヴィッシャー、ヤンソンによって、1650年まで出版が続けられた。
1616年版の日本地図は新しいもので、ベルティウスが1600年以来彼の地図帳に編入した1598年のランジェーヌの地図を入れ替えている。
地図は1595年のオルテリウス―テイセラの輪郭を踏襲しているが、朝鮮の南端しか表示していない。魅力的な装飾は、中央の下に一艘の船と海の怪獣、右下に魅力的な渦巻き模様の表題枠を含んでいる。
この地図は、1618年のフランス版の地図帳からのものである。
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