No.181
ガーニエ, F. A ( GARNIER, F. A. ) 

「 東アジア-中国と日本 (ASIE ORIENTALE-CHINE & JAPON)  
47×34(cm) 1860
【解説】: 1860年パリで、ガーニエの「球形地図帳と世界地理」に発表されたこの魅力的な中国と日本の地図は、チベットおよび中央アジアから日本、千島諸島、サハリン、カムチャッカまで広がっている。 ガーニエ(1803-63年)は、V・J・ルノアールによって出版されたこの地図帳で、おそらく最も良く知られている。 この地図は、この地域を興味深いまた詳細な図で現わし、北海道と南千島諸島は日本領土として示されている。

No.182
アンティコ, C (彫工) ( ANTICO, C. (engraver) ) 

「 朝鮮、満州、日本帝国および千島諸島 (LA COREA, LA MANCHURIA, L'IMPERO DEL'GIAPONNE e L'Isole Kurille) 」 
34×26.5(cm) 1860頃
【解説】: イタリア地図帳1860年頃「商業地図帳」に発表されて、この地図は東アジアを朝鮮から千島諸島まで図示している。 魅力的に彫られて、また流麗に描かれた表題が右下に見える。 この地図は、この地域の詳細な輪郭を提供し、また面白いことに、千島諸島ではなく、南サハリンが日本領士の一部として示されている。

No.183
フルデンベルク, G. A ( HULDENBERG, G. A ) 

「 日本図 (KARTA ofver JAPAN. STOCKHOLM. G.A.Huldebergs Bokhandel Bazaren a Norrbro.) 」 
23×29(cm) 1860頃
【解説】: 非常に珍しくてまた希少なスエーデンの地図は、書籍販売商フルデンベルクによって出版された。この会社については何も知られておらす、その対象分野も分からないが、地図の体裁からは、1860年代初期の日本旅行記から来ているようで、ペリー提督の遠征の成果に関わるものであろう。 確かに、地図はアメリカで1856年初版のペリー提督の地図から取られているようである。スエーデン語の翻訳は、多数の地名があり非常に詳細で、また北海道についても非常に詳細な情報を提供している。 非常に珍しい一品である。

No.184
ヴァーチュ, J ― ヒュー, G ( VIRTUE, J. - HUGHES, G. ) 

「 日本諸島と朝鮮、満州およびアムール川沿いのロシア領土 (THE ISLANDS OF JAPAN with COREA, MANCHURIA AND THE RUSSIAN TERRITORY ON THE AMOOR) 」 
21.5×29.5(cm) 1860頃
【解説】: この詳細なカラー印刷の石版地図は、朝鮮、中国、国境紛争の満州および日本、北海道およびサハリンを図示している。 これは1858年のウェラーの「週刊特派員地図帳」に発表した地図に非常に良く似ており、また満州のアムール川沿いで紛争のあった中国-ロシア領士に特別の注意を払っている。

No.185
ブラッキーと息子 ( BLACKIE & SON ) 

「 日本 (JAPAN) 」 
25×34(cm) 1860頃
【解説】: この精緻な日本の石版地図は、グラスゴーのブラッキーと息子の会社によって出版され、 19世紀後半の彫工で地図作家としての実力者ウェラーが彫ったものである。 地図はペリーの遠征後まもなく出版され、日本の諸島はますます詳細になり、また正確な輪郭で描かれている。注目すべき点は、北の北海道は特に良く描かれていて、一部分はブロートンおよびクルーゼンシュテルンの調査の結果であり、またさらにいっそう、1855年以降の北海道南部、函館条約港の開港による結果である可能性が大きい。 興味深いまた詳細な19世紀中葉のスコットランドの地図である。

No.186
コルトン, G. W & C. B ( COLTON, G. W & C. B. ) 

「 コルトンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (COLTON'S JAPAN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURLES...) 」 
40×32(cm) 1860頃
【解説】: この見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾の様式においても、また一つの版が次の版へと複写されていった地誌的な事項においても、類似していた。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳の初版は1854年に出た。この地図は、J・H・コルトンの二人の息子G・W・コルトン(1827-1901年)と C・B・コルトン(1832-1916年)の銘があり、おそらくは1860年頃からのものである。 その他の全ての点では、初期J・H・コルトンの版と同じで、1855年の登録日付まで同じである。

No.187
コルトン ― ジョンソン & ブラウニング ( COLTON - JOHNSON & BROWNING ) 

「 コルトンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (COLTON'S JAPAN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURLES...) 」 
40×32(cm) 1860頃
【解説】: 見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾様式においても、また一つの版が次の版ヘと複写されていった地誌的な事項においても、類似していた。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳の初版は、1854年に出た。1860年頃のこの地図は、ジョンソンとブラウニングの銘があり、出版社の住所はコルトン社の住所と同じニューヨーク、ウイリアム通り、172である。 その他の全ての点では、初期J・H・コルトンの版と同じで、 1855年の登録日付まで同じである。

No.188
ウェラー, E ( WELLER, Edward ) 

「 日本およびその近隣国の地図 (A MAP OF JAPAN and the ADJACENT COUNTRIES) 」 
31.5×36(cm) 1860頃
【解説】: ロングマン社によりロンドンで出版されたこの石版地図は、ウェラーが彫ったもので、1860年頃以降のものである。 地図は、香港から満州までのアジア東部、そして台湾から北海道およびサハリンまでの日本海の諸島を描いている。 日本沿岸の詳細は、アメリカのペリー、イギリスのエルジンの両日本遠征隊の直接の結果であるが、これには日本群島、とりわけ西日本の海岸線の重要な調査を含んでいる。 興味深いまた詳細な条約港の開港後間もない極東の地図である。

No.189
ウェラー, E ― R. G. S ( WELLER,E.-R.G.S ) 

「 日本地図から複製された日本 (JAPAN reduced from a Japanese map) 」 
37×20(cm) 1861
【解説】: 王立地理学会誌に発表された非常に奇妙な日本地図は、R・オルコック卿の1859年から1862年間の日本滞在と、1861年の卿の江戸参府を記念したものである。 この地図は、その見本として日本の行基式地図を用いた点で奇妙であり、また地域、城、大名の城下町、主要街道を図示している。非常に注目されるのは、長崎から江戸へ参府するオランダ人には非常になじみのある街道で、1861年オルコックがたどった道は、赤で描かれている。 興味深いまた珍しい小さな地図は、1863年ロンドンで出版されたオルコックの「大君の首都:日本居住3年の物語」にも出ている。

No.190
ジョンソン および ブラウニング ( JOHNSON & BROWNING ) 

「 ジョンソンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (JOHNSON'S JAPAN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURILES...) 」 
40×32(cm) 1862頃
【解説】: この見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾様式においても、また一つの版が次の版ヘと複写されていった地誌的な事項においても、類似していた。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳の初版は、1854年に出たが、ジョンソンとブラウニングが出版したこの地図は、コルトンの元の地図に忠実な複写である。地誌的なまた地理的な詳細は同じままであるが、唯一の違いは地図の周りの新しい葉形飾りの縁取りである。

No.191
ペレイラ, F, M ( PEREIRA, Feliciano, Marques ) 

「 日本帝国地図... (CARTA DO IMPERIO DO JAPAO...) 」 
30×36(cm) 1863
【解説】: この珍しくて奇妙な地図は、1863年リスボンで出版されたポルトガルの物語「1860年日本の首都における Carvetta Dom Joao Ⅰの旅」に出た。 この地図は1856年のペリーの日本遠征物語に印刷された小型地図を直接複写したもので、表題にあった同じ情報源―シーボルトおよび遠征中の最近の調査―も複写している。 この本は地図付きではめったに見つけることはできず、19世紀中葉期の日露関係および日米関係両者の相違を皮肉にもあらわしている。

No.192
ウェラー, E ― キャッセル社 ( WELLER, Edward - CASSELL & c ) 

「 日本 (JAPAN) 」 
30×42.5(cm) 1863頃
【解説】: この詳細な石版地図は、ウェラーの1858年の「週刊特派員地図帳」に発表されたものである。これは1850年代および1860年代の最新の政治事情に関連した地図付き「週刊特派員」の別冊(付録)の普及版で、大量発行部数の地図帳であった。この地図は、重版からのもので、おそらく1863年頃、オルコックの日本探訪の記述に伴うものとして使われたものであろう。表題は改定され、サハリンと満州の境界は変更された。 地図は、正確で非常に詳細で、北海道を含めて全ての島々の輪郭は正確に図示されている。 アジア大陸も、サハリン島や満州の紛争中のロシア―中国領士と共に図示されているが、これは、1858年発行のウェラーの地図とは異なる描写である。

No.193
ジョンソン および ウォード ( JOHNSON & WARD ) 

「 ジョンソンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (JOHNSON'S JAPAN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURILES...) 」 
40×32(cm) 1863頃
【解説】: 見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾様式においても、また一つの版が次の版ヘと複写されていった地誌的な事項においても、類似していた。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳初版は、1854年に出たが、ジョンソンとブラウニングが出版したこの地図は、コルトンの元の地図の忠実な複写である。地誌的なまた地理的な詳細は同じままであるが、唯一の違いは地図の周りの新しい葉形飾りの縁取りである。

No.194
ジョンソン および ウォード ( JOHNSON & WARD ) 

「 ジョンソンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (JOHNSON'S JAPAN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURILES...) 」 
40×32(cm) 1864頃
【解説】: 見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾様式においても、また一つの版が次の版ヘと複写されていった地誌的な事項においても、類似していた。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳の初版は、1854年に出たが、ジョンソンとウォードが出版したこの地図は、コルトンの元の地図の忠実な複写である。地誌的なまた地理的な詳細は同じままであるが、唯一の違いは地図の周りの新しい葉形飾りの縁取りである。

No.195
ジョンソン および ウォード ( JOHNSON & WARD ) 

「 ジョンソンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (JOHNSON'S JAPAN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURILES...) 」 
40×32(cm) 1864頃
【解説】: 見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾様式においても、また一つの版が次の版ヘと複写されていった地誌的な事項においても、類似していた。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳初版は、1854年に出たが、ジョンソンとウォードが出版したこの地図は、コルトンの元地図の忠実な複写である。地誌的なまた地理的な詳細は同じままであるが、唯一の違いは地図の周りの新しい葉形飾りの縁取りで、これはジョンソンとウォードの前の版と同じである。

No.196
作者不明 ( Anonymous ) 

「 日本地図の輪郭 周防灘経由の街道の図示。日本地図の原版からの縮尺。 (OUTLINE OF A MAP OF JAPAN Showing the Route through the Sowanada Sea. Reduced from an original Japanese map.) 」 
20×12(cm) 1865頃
【解説】: この奇妙な地図は、1860年代に出版されたイギリスまたはアメリカの日本の記述から取られたものである。 これは長崎から瀬戸内海および淡路島経由の海路による江戸までの作者の辿った航路を図示している。地図は日本の木版地図から複写され、1862年のオルコックの「大君の都」の初めに見本とされた日本の地図に多くの類似点が認められる。 地誌的な詳細は、大きな都市と航路沿いの港の他は殆ど見られない。 非常に珍しい小地図である。

No.197
フラートン, A ( FULLARTON, Archibald ) 

「 (紙面の上に)日本諸島 地図(の表題)日本、満州...イギリスおよびロシア海軍省調査に依った。クルーゼンシュテルン、シーボルト... ((Top of sheet) ISLANDS OF JAPAN (On map) JAPAN, MANCHURIA... According to the British & Russian Admiralty Surveys. KRUSENSTERN, SIEBOLD...) 」 
30×46(cm) 1865頃
【解説】: 装飾的な地図の最後の一つで、この魅力的な石版は、1864年エディンバラで、地図帳の形で初めて出版されたフラートンの「王立挿絵入り地図帳」のために、J・バーソロミューが彫った。これは1854年から1863年の間に一部はすでに出版されていた。 この地図は、最新のイギリスとロシア海軍省の調査を、特に多くをクルーゼンシュテルンの調査を基にしたものである。シーボルト発行の日本地図からも引用している。 地図は朝鮮から満州北部とサハリンまでの東アジアの沿岸を描いている。日本は北海道と千島諸島と一緒に描かれている。右下には長崎の挿入図がある。 この地図の装飾性は、地図の上部の縁取りに沿って描かれた海からの下関風景をはじめとする精緻なスケッチにある。1863年イギリス海軍は、長州派閥が海峡を通過する外国船の攻撃を続けるので、それをやめさせようと下関を砲撃した。 興味の深い詳細な地図である。

No.198
ジョンソン, A. J ( JOHNSON, A. J. ) 

「 ジョンソンの日本の本州、九州、四国、蝦夷、および日本の千島諸島... (JOHNSON'S JAPN NIPPON, KIUSIU, SIKOK, YESSO AND THE JAPANESE KURILES...) 」 
40×32(cm) 1864頃
【解説】: 見事なアメリカの石版地図帳のシリーズものは、1850年代および1860年代に、ニューヨークのコルトン、ジョンソン、ウォードおよびブラウニングの会社によって出版が始まった。 これらの地図帳は、その入念な縁取りの装飾様式においても、また一つの版が次の版ヘと複写されていった地誌的な事項においても類似している。 「一般地図帳」と題しコルトンが出版した世界地図帳の初版は、1854年に出たが、A・J・ジョンソンが出版したこの地図は、コルトンの元地図の忠実な複写である。地誌的なまた地理的な詳細は同じままであるが、唯一の違いは地図の周りの新しい葉形飾りの縁取りで、これはジョンソンとウォードの前の版と同じである。

No.199
ジョンソン, A. J ( JOHNSON, A. J. ) 

「 ジョンソンの中国と日本 (JOHNSON'S CHINA & JAPAN) 」 
57×41(cm) 1864頃
【解説】: 見事なアメリカの石版地図は、1868年頃に、ニューヨークでA・J・ジョンソンの会社によって出版された。ジョンソンは、同僚のニューヨーク出版者J・H・コルトンと親しく協力して、1862年に協同で、「家族地図帳」を作成した。 両者の地図が、同じ様式で、装飾的な縁取りや同じ淡彩画の原画であることは驚くにはあたらない。 この精緻な地図は中国全図と、北海道のある日本を描き、右下には広東の商館の詳細な挿入図がある。日本地図の下にある右上の数字の記号表は日本の49の地域を明らかにしている。

No.200
ペーテルマン, H ― ペルテス, J ( PETERMANN, H. - PERTHES, J. ) 

「 中国(東部)、朝鮮および日本... (CHINA (OSTL.THEIL), KOREA UND JAPAN...) 」 
40×33.5(cm) 1868
【解説】: これは中国東部、朝鮮、日本の詳細地図で、1847年から1854年まで、ヴィクトリア女王付き地理学者であったペーテルマン(1822-1898年)が作成した。ドイツへ帰国後、彼はJ・ペルテスと共同で仕事をした。この1868年の地図は、A・シュティーラー「常用地図帳」43cに出ている。 地図は中国東部、朝鮮、および北海道の南部のある日本を図示していて、右下の挿入図には、詳細な上海、広東および東京湾の商館が描かれている。中国、台湾および日本のアメリカおよびヨーロッパの条約港は赤の下線があり、また中央下には政治体制の境界が色記号で示されている。 明治維新の年の詳細な描写である。